ども~こんばんは。豆腐の角です。
私は囲碁で考えられるっていう人は中々いないと思っています。
これだけ書くと誤解されそうです。私が思っている「考えられる」と、みなさんが思っている「考えられる」の認識に違いがあると思います。それで前ネットで色々言われたことがありますので、私の考えをお話したいと思います。
私の思う「考える」事についていくつか例を挙げていきたいと思います。
もちろんみなさんが考えていないというわけではありません。が、とある事を「考えている」と誤解している、または一緒だと思っているケース、またはそれが原因で正しく考えられないケースがあります。
それが
「悩み」です。
たとえば石が取られそう「怖い」どうしよう……で無意識に守る手を着手の候補にあげ、守る手という着手の候補の中からどれがいいかなと考える。ほかの発想がないので思い浮かぶのは守る手段の中しか候補があがりません。
たしかに着手の候補は考えている。でも「怖い」という悩みから、
ほかに考えないといけないことを考えられなくなっているのです。 たとえば、その
取られそうな石は本当に価値がある石なのか? 取られてもいい石と判断したら、発想と着手の候補は広がりを見せます。ほかに急場はないか、大場はないか。
感情から悩みになって、それが原因で考えないといけない事を考えられなくなる。
相手が近づいてきたからとりあえずその近くに打つ人。相手の手にあわせればそれでいいと思っている人。
相手が何をしたいと思っている手なのかを考えるよりも、真っ先に「怖い」がきて思考をやめて守る手段がどれがいいか~で考えている。
だから下手の質問も「どう受ければいいですか?」という質問になったり。
欲に目がくらんで~というのも一緒。
考えるポイントがずれるとほかの事が考えられなくなる。考えるって奥が深いです。
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