ども~こんばんは。豆腐の角です。
いろいろあって数日中にネットが暫く使えない状態になるかもしれません。
まあブログを完全にやめたわけでも、やめるわけでもないんですが(^_^;)
復帰時もよろしくお願いいたします。
さて気を取り直しまして、今日は「間」(ま)の話。
よく魔が差した、という言葉がありますが「魔」は「間」の中に眠っています。
囲碁の世界でも、もうこのへんでいいのに欲張ってしまった、逆に優勢を意識しすぎて固くなってしまった……
一流プロ同士の対局でも、自分と相手の着手が放たれる「間」には、普段ではありえないようなミスなどがよく起こっています。いつも対局者を襲いかかろうと魔物が息を潜めているんですね。
第一感で閃いた一手を打てばいいのに、考えすぎて第一感の手と第ニ感の手で迷いだし、ここに「間」が生まれます。
打っていたら、せっかく時間を使ったのだから、考えた方の一手を打ちたい、そう思う人が多いからか、迷いだすと大体第二感のほうへ打たれます。
で、「やっぱり第一感の手にすればよかった!」となる碁のなんと多いことか。
考えているなんともいえない「間」には魔物が常に潜んでいます。
またしかし、この「間」をうまく味方につけると、とても心強い味方となります。
自分と相手、対局者二人の間には阿吽の呼吸のようなものが生まれます。なんとなく石の流れ、雰囲気から次の手が当たったり、どこを狙っているのか、構想はなにか、が分かったりします。
相手の狙いに気づくことができる、ということは
考えどころがわかるということです。
それがとてつもなくすごい人が
井山四冠です。
井山四冠が子供の頃、9路の連勝記録を競う(だったかな?)テレビ放送に出演。この時の解説者が後に師匠になる石井邦生先生です。
石井先生が感心したように一言おっしゃったのが、「
この子は考えるべきところがわかっている」ということです。
子供は早打ちの子が多く、当時の井山少年も早打ちだったのですが(映像でしかみてないですがw)
考えるべき難しい局面では考えている。これは簡単なようで実はとても難しいことなんです。
相手が難しい手を打ってきた、普通の人は相手が難しい手を打ってきたということに中々気づかない。
でも井山少年はあきらかに局面の阿吽の呼吸、空気を感じて「ここは難しいぞ」と手を止める。
これがもう天賦の才なのでしょうね。
また、普通じゃないのが「間」の中で思考を巡らしているにも関わらず、もっとも自分が打ちたい、厳しい手を決断して「間」の中に潜む「魔」を払い除けていることです。
普通は勝ち負けで震えてしまい決断を誤ります。
また、形勢が不利な局面では逆に普通では思いつかない発想の手を打ち、秒読みに追い詰め、相手の嫌な「間」を作ります。そう、井山四冠は「
間を利用している」のです。
参考文献仕事の流儀プロフェショナル。
本人は普通に打っているつもりかもしれませんがw
こういうことを時間のない碁、追い詰められた碁でも決断できる井山四冠は本当にすごい。
また、こういうところを見せ付けられると若い棋士も見習って、どんどん強い棋士が出てきます。
近年若手が活躍しているのは井山四冠のおかげですね。
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