ども~こんばんは。豆腐の角です。
囲碁はほかのチェスや将棋などのボードゲームに比べて曖昧なゲームだと思います。曖昧というのは何を目指せば勝ちになるのか、などその他もろもろです。
将棋やチェスは王様を詰ませれば勝ちで非常にシンプルです。しかし囲碁は最後に領土が民家一件分(一目でも)でも多ければ勝ちというゲームです。
シンプルに見えますが、ゴールまでの道のりが長く、他のゲームよりもゴールに至るまでの過程に自由性があります。自由性があるということは曖昧な部分が多いんですね。
たとえば囲碁の勝負は一目や二目など数字で結果を表します。まずこのへんがほかのゲームと違う所ですね。
一目でも半目でも相手より多ければ勝ちというゲームです。形勢判断・目算が得意な人ならば半目をゴールラインに設定してもいいでしょうが、普通半目だと計算間違いしたら怖いし、もっと余裕をもって勝ちたいと思うのが普通ではないでしょうか。
ゴールは別に一目でも100目でも自由。ゴールだけでも王様を取るというシンプルさに比べて自由度が高いというか、曖昧ですよね。
自由性が高いため、曖昧な点が多く、考えて分かろうとすると余計わからなくなってしまう……それが囲碁によくある落とし穴です。
囲碁用語にしたってそうです。マガリとぐずみとか、伸びとサガリの違いとか、利かしとか曖昧ですよね。
なので以前から申している「感じ」「感覚」で掴まないといけない部分が多いゲームです。だからプロの棋書でもアマチュアの疑問に完璧に答えられている本はあんまりなかったりするわけです。特にプロは子供の頃から「感じ」で囲碁を掴んできていますので、「感じ」や「感覚」を級位者にでも分かる言葉で説明しろといっても中々難しいのです。
たとえば外国人に「どうやってお箸をもっているの?」って聞かれてもお箸の持ち方みせて「こうもってこうだよこう!」としか言えませんよね。理屈で説明しろって言われたって長年習慣で身に付いたものを言葉になんて中々できません。それとおんなじです。
まあこの指をこの角度で~って説明できる人がいたら、お見それしましたとしか言いようがないですけどw
この感じ・感覚といったものは、才能による部分も大きいですが、私は難しいことでもそれはそういうものとして「受け入れる」事が重要なのかもしれないとここ最近思うようになりました。それさえできれば、それほど難しい事ではないのかもしれません。これについてはまた書いて吟味していきたいと思います。
次回も囲碁の曖昧さについて考えていきたいと思います。
ブログランキングはじめました。一日一回ぽちっとおねがいします。
人気ブログランキングへ
スポンサーサイト